ゼブラクロス・環境計画研究機構

月刊インターかがわ 1996年1月号18・19ページ「都市と共振する建築家たち」より

失ってはいけない本質を見つめつつ、全方位に百%の魂をこめて。

庵治町の先端・竹居岬、その高台に建つ自宅兼アトリエからは、180度海が見渡せる。静かで、沖を行く船のように時間までがゆっくりと流れていく。窓の多くは海側にあって、トイレ、浴室、ベッドルーム、リビング、キッチンなど、プライベートな場所からは自然にそんな風景が広がる。とてもオープンな空間だ。若林さんの人間性にひかれてか、ここには多くの人があつまるという。ディナーを振舞うのは、若林さんご自身。ごく身近なところでも、アーキテクトとして存在する。

「建築を設計するにあたって、許されるものなら照明器具や家具まで一切デザインしたい。そこまでしないと本当の演出はできないから。アメリカやヨーロッパのアーキテクトはデザインの頂点を極めた者として、非常に高い信頼を得ていて、車やアクセサリーのデザインまで手がけている。日本だって同じこと。建築家だったらそれくらいのことはできますよ。ましてや家具なんかは建築の一部ですからね、して当たり前、何の矛盾もない」

一昨年設計した庵治町の保育所では、園児たちの使う家具も、遊具もデザインした。

「我が町に保育所ができるんですよ。人に渡せないと思ったね。子どもを取りまく環境について、考え、提案してゆくことはずっとライフワークとして活動の重要なポイントにしてきたわけですから。保育所っていうのはその集大成ですよ」

熱い思い一心でこの仕事を手に入れた。建築家という職能において極めて屈辱的であろう「入札」制度を乗り越えて。でも、その結果、兼ねてから作り続けてきた子ども用家具「アンジュレ」と「キュピドン」の二つをシリーズ化し販売する会社「チャイルズハート(童心)」が誕生した。やさしい色、夢と未来が膨らむ形をした家具たちは、おそらく若林さんがイメージしテーマとする「自由で、平和で、豊かな21世紀」の母体になっているのだろう。

「最近、地球市民ってよく言われるでしょう。一人一人がその意識をきちっと持つべきなんですよ。食料、公害が死活問題に及んでいる中で、我々建築家は時代と共振しながら、都市を、環境を創っていく役割を果たさないといけないと思うんです」

ゼブラクロス(交差点あるいは横断歩道)、人の生き方や環境を地球的視野に立って、考え、創造し、関わっていきたいという基本理念が込められている。それは一個の椅子に始まり、住宅、町、未来都市まで、表現するカタチは違っていても、思いは一本のレール上にある。

インタビューの時間を気づかいながら、若林さんはこれまで手がけてきたプロジェクトのいくつかを、丁寧に説明してくれた。どの作品もロマンチックで、しかも現実的なものばかり。ありふれた言葉だが、こんな素敵な家に、こんな快適な街に暮らしたいと思った。と同時に、普段実感として受けとめにくい環境問題が、いかに身近なことであるかを教えてくれた。

中には多くの人の関心を集め、共感を呼びながら実現しなかった作品もある。取材陣一同「もったいない」と幾度ため息をもらしたことか。その最たるものが「琴電11/11ステーション」だ。


発表当時、新聞やテレビで紹介された「琴電再生計画案」 (1991) ●日本のローカル鉄道の役割とは何かということを踏まえ、鉄道の再生をテーマに研究、提案された作品。デパートの1フロアに例えられた駅舎は、人々が集い、交流する場として再生されている。

1991年に発表されたこの作品は琴電志度線、潟元駅から志度駅までの駅と駅舎、その区間、路線を建築化したもの。11の駅が11階のデパートに、その区間を往き来する電車がエレベーターもしくはエスカレーターに例えられている。

デパートの各階(各駅)には地域性を盛り込んだテナントショップが軒を並べ、それぞれ観光案内所、物産品のコーナーが設けられている。運賃の代わりをテナント料で賄うという設定だから、11のフロアを繋ぐエレベーター(電車)は区間内無料解放され、最寄りの階(駅)から目的地まで自由に移動できるというのも利用者にとって大きな魅力だ。

若林さんの手で生まれ変わった駅舎は、明るく、人々が生き生きと行き交う姿が目に浮かぶようだ。それも現在あるプラットホームそのままの敷地内で設計されている。

「今、ローカル鉄道がどんどん廃線に追いやられているけれど、日本の国土に鉄道を始めとする公共交通機関は、これから非常に重要な役割をはたすことになるんです。クルマ社会が世界を凌駕しつつあるけど、クルマだけに依存するのは止めて、公共交通機関を一つのネットワークとして確立すべきだと思います。クルマとの共存を前提とした街づくり、国土づくりをすることによって、豊かで、平和で、安全な社会が創られるんじゃないでしょうか」

「東京から来て最初に、のんびり走る赤い電車を見た時、なんて素敵なんだろう、これは残してゆかなければいけない、そう思いましたね」そんな愛着心も込められているから、余計説得力を持って伝わってくる。聞きながら、こんなに素晴らしい構想がカタチにならないやりきれなさを感じてしまった。若林さんご自身もそうに違いない。

「計画的に人生なんて選んでないですよ。支離滅裂、行き当たりばったり。こうしたいからこうするだけでね。12月で55歳になるんですけど、年齢というもので物事を解釈したり、納得したりしたくないというのが、少なくとも今まで生きてきた実感だな。まだ未知数なんです。確固たるものは何もない。ただ人の3倍くらい偏屈というか強情というか、コンセプトにはこだわりますけどね」

若林さんの一途で我侭な戦いはこれからも続く。それは社会との戦いでもあり、自我との戦いでもあるようだ。言葉よりも雄弁な瞳は、将来を模索していた少年の頃のまま、媚びることなく真っすぐに今なお未来を見つめている。


庵治町コミュニティセンター (1994) ●豊かな色調、工夫された光の摂り方が印象的。交流の場という明るいイメージが強く演出されている。建物の前庭が野外スタンドとなっている多目的公共施設。

'71ミサワホーム国際設計競技最優秀作品「海洋自由時間都市 NOAH」 (1971) ●公共スペース連結した支柱ともいえる母船に、個々の居住スペースであるマリンカプセルのつながれたコミュニティボードがドッキング。自由時間都市は、カプセルによって形成されるであろうが、それはシステムとネットワークそのものであり、不定形で浮遊するもの。全体は原子力で、カプセル単体はスクリューで移動する。

注) 現在、一級建築士事務所「ゼブラクロス」は、活動を終了し、
わかばやし一色はフリーランサー/コミュニティデザインコンサルタントとして
広く活動しています。

プロフィールを見る 略歴を見る

■お問い合わせはこちらまで■


ご注意: 現在スタイルシートを読み込んでいないため、デザインが正常に表示できません。これが意図しない現象の場合は、新しいブラウザをご利用下さい。